SSブログ

黒田官兵衛ゆかりの藤の花を見た [ぴんぼけ]

黒田官兵衛ゆかりの藤の花を見た

黒田官兵衛ゆかりの藤。控えめながら、記者を歓迎するかのように花が咲いていた=兵庫県伊丹市

黒田官兵衛ゆかりの藤。控えめながら、記者を歓迎するかのように花が咲いていた=兵庫県伊丹市

 いよいよ物語も佳境を迎え視聴率の若干の“V字回復”も伝えられるNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」。戦国・安土桃山時代好きの小欄もお気に入りの番組である。

 今月初め、取材場所に行くためでJR伊丹駅(兵庫県伊丹市)を利用した。すると、駅前で目に入ってきたのが、なんと有岡城の史跡案内板。地縁がないため、うれしい驚きでつい、本来の取材目的前に、城跡周辺を散策してしまった。

 有岡城は、織田信長配下の武将だった荒木村重が、突如謀反して籠城。官兵衛が城内に村重を翻意させるために説得に行ったところ、そのまま牢に幽閉してしまった話はよく知られている。

 この時、1年ほどの長期にわたる土牢内の官兵衛が小さな穴からつるを伸ばして咲く藤の花をもうろうとした意識の中で見て、心の支えとしたという逸話が伝えられている。

 そんなことを思い出していると、史跡案内板のすぐ隣になんと藤の花が控えめに咲いているではないか。遅咲きのものなのか。思わず感動の極みに達してしまった。

 藤の花にも案内書があったので記しておく。

  「官兵衛ゆかりの藤 天正6年(1578)、織田信長に反旗を翻した荒木村重を説得に黒田官兵衛が有岡城に赴きますが村重は諸事情を考慮し、やむなく官兵 衛を幽閉します。この間、官兵衛が力強く咲く「藤の花」を見て生きる勇気を得たという逸話は有名です。(中略)官兵衛ゆかりの姫路城の藤から育てた子孫樹 をここに植樹します」

 幽閉のくだり部分は、地元武将の村重への配慮ある書きぶりと拝察した。そういえば、近くの村重について詳しく書かれている案内板からも同じような配慮が感じられた。以下は抜粋部分である。

 「村重を説得しようと、家臣の黒田官兵衛を有岡城へ遣わします。村重は、このままでは信長方となる官兵衛を城内に留め置きます」

 「城内に留め置く…」。「土牢に幽閉」というイメージとはやや違うような気もするが、やはり地元武将への愛着の表れなのだろうか。なかなかの心遣いだと評価しておこう。

 村重は天正2年(1574)に、当地を支配していた伊丹氏を破り、伊丹城に入城。城の名を有岡城に改名した。摂津一国の軍事上の中心として城の大改修を行い、主郭部、侍町、町屋地区の全体を掘と土塁で囲み、北、西、南に砦を築き、惣構えの城を完成させた(案内板から)。

 そばに城跡の発掘調査後に整備されたこぢんまりとした史跡公園があり、土塁や石垣、建物跡、井戸跡などを見ることができる。

 籠城し毛利や石山本願寺などに援軍を求めたものの、かなわず、落城する。村重は敗走し、その後は入道し、「道薫」と名乗る。天正14年(1586)に堺の地で没したとされている。

 案内板を読み続けていると、藤の花が薫ってきたような気がした。

--------

固論歩5050.jpg

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。