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壇蜜との会話で考えた仕事術と企業戦略 [ぴんぼけ]

壇蜜との会話で考えた仕事術と企業戦略

夢を追いかけるホンダ、成長事業を模索するサムスン

2015年8月27日(木)

 2010年に「週刊SPA!」でグラビアでデビューし、独自路線を展開する壇蜜さん。その一方で、日本舞踊師範でもあり、英語教師免許や調理師免 許をも持つインテリ系であることも、その存在のユニークさを醸し出している。先日はNHKの「あさいち」にも出演していた。今や芸能界の「台風の目」の一 角を担っているといっても過言ではあるまい。

 本コラムを、このイントロから始めたのにはワケがある。お盆の最中の8月15日、壇蜜さんに直接会って2時間以上、話を交わしたからである。

 壇蜜さんの母は、筆者と同じ中学に通い、しかも吹奏楽部の2年後輩だから同じ釜の飯を食べた同志。母上の妹、すなわち壇蜜さんの叔母さんは中学生 の時に筆者が家庭教師を務めた。壇蜜さんの伯父さんは筆者の中学、高校時代の同期。そういうつながりで、壇蜜さんのおばあちゃん邸(秋田県横手市十文字 町)には、学生時代に頻繁に出入りしていた。

 墓参りで十文字町に帰省していた筆者は、友人にお願いして我々が活動している“YOKOTE HEROES”(東京が拠店)なるジャズバンドの地元メンバーとの交流を図るべく、8月14日に懇親会を開催していた。

 ところが、偶然にも同じお店で、しかも1部屋隔てたところで壇蜜さんの家族・親族御一行様が宴席を設けていたのだ。筆者が化粧室から部屋に戻る 際、この御一行様の帰宅とタイミングが重なった。しかし、その中に壇蜜さんがいたとは知るすべがなく、御一行が帰ってから知ることに。信仰深い本人が墓参 りとトークショーの公演を兼ねて帰省していたということだ。

 そういうわけで、翌15日には壇蜜さんの母の実家に友人と訪問した。そこには紛れもなく壇蜜さん本人がいたので、「初めまして」と挨拶したら「初 めましてではありません」と却下された。というのも、御幼少の頃から母の帰省に付いてきて、そんな折に何度か会っていたというのだ。しかし筆者には記憶が なく、「初めまして」の挨拶となるわけである。

 周りから見れば、芸能界の活動を順調にこなしているように見える壇蜜さん。そんな中での、プロとしての考え方や不安など、マスコミを通じては伝 わってこない影の部分を聞くこともできた。彼女のプロとしての哲学の片りんを伺い知ることができ、企業人として参考になったと言える。もっとも筆者には、 彼女の不安などは自ら昇華して楽しんでいるようにも見えるのである。

 テレビやラジオ出演、出版、雑誌記事、そしてブログ執筆などにも精力的である。寸暇を惜しんで、スマホを活用しながら、どこでも臨機応変に原稿をおこしていると聴き、なるほどと共感する部分があった。

 筆者は壇蜜さんに以下のように伝えた。「2013年から、日経ビジネスオンラインのコラムを依頼され、執筆し始め3年目となっている。その途中 で、ここにある書籍も出版できた。本日お会いして話をした中で、企業戦略と共通するような部分が見えたので、コラムに執筆しようと思う」と。

 すると壇蜜さんは、「私もどこかのメディアのインタビューで佐藤さんのことを採り上げたことがあった」と。こんなやりとりも、当日あったのである。

 いずれにしても独自路線を開拓し、それを発展させる思いと行動、その裏にある粘り強さやぶれない軸は、企業戦略とも一面では相通じるところがある ことを実感した。今回はややこじつけでもあるが、独自路線の開拓を新事業と置き換えて、ホンダ、サムスン時代に経験したことを振り返ってみたい。

やりたいことをやるホンダ

 企業が新事業を模索し着手する場合、大きくは2通りのケースがある。1つは、企業の夢を実現するために着手するケース。もう1つは、社会を見渡したうえで成長する事業を予測し、焦点を当てて参入するケースである。

 前者のケースを重視する典型的企業がホンダであろう。ホンダの創業者である本田宗一郎(1906~1991)氏は、二輪事業を立ち上げてから四輪 事業へ進出したが、これが正に代表的な事例だろう。宗一郎氏が自らの思いで四輪事業を手掛けようとした際、政府からの強い反対意見が出たが、それを押しの けて情熱をもって推進した。

 その宗一郎氏が「いずれは空を飛びたい」という夢を語った。それを引き継ぎ、研究開発を進め、そして本年、航空ジェット事業をスタートさせた。そ れを実現するために1986年に発足させた和光研究センターは、新事業開拓のための基礎研究機能であった。そこから研究開発を始め、約30年の歳月をかけ て実現させたことになる。夢の実現だからこそ、これだけの歳月をかけられるとも言える。

 2足歩行ロボットもホンダの夢の具現化である。1986年の研究着手から数えて、これも約30年経過した。その技術はいろいろな分野に応用されている。技術陣と経営陣が世代を越えて引き継いでいった成果である。

 先の壇蜜さんは、「夢を描く」「やりたいことをやる」「信念を貫く」「真似をしない」「諦めない」というキーワードでくくれば十分に重なるところがある。

 もちろん具現化できるまでの過程には、「停滞」「挫折」「憤り」など、逆風も付いてくる。そこを如何に克服して、更に前進できるかが、プロフェッショナルの真価として問われるところではないだろうか。

成長事業を模索するサムスン

 もう1つの、成長する事業を予測し参入するケースだが、サムスンの事業戦略の大筋はこれに当てはまる。

 サムスングループが、自動車産業に貢献する部品事業を拡大する方向を一層強く打ち出している。これは、ホンダが夢で新事業に参入するのとは異な り、自動車の部品育成事業が今後大きく成長するという予測の元に参入したものだ。この動きは筆者がサムスンSDIに在籍していた2010年に、グループの 事業戦略として着手したことに遡る。

 当時のサムスングループの副会長であったキム・スンテック氏(2009年末まではサムスンSDI社長)が陣頭指揮をとって戦略からスタートしたも のである。民生用でのディスプレー、リチウムイオン電池、LED、有機EL(エレクトロルミネッセンス)、半導体、イメージセンサー、素材など、多岐に亘 る事業を持っている強みを生かして自動車産業まで拡大しようとする試みであった。それは取りも直さず、自動車の電動化が進展していくことと連動させること で、成長事業としてくくれるという判断からの戦略であった。

 これを受けて2010年から2011年にかけて、サムスングループの個別の展示会を、ホンダ、トヨタ自動車、日産自動車、デンソーの4社で実施し た。まずは、世界をリードしている日本の大手自動車関連メーカーで展示会を実施し、現状を知っていただくこと、そしてそこからビジネスを開拓していくこと を目標にしたものだ。筆者の人的ネットワークを前面に打ち出し、企画から実行までを非常に短い時間で行った。

 そして現時点では、今後の期待がかかる自動運転でも様々な部品や素材が活かされることから、発展的な視点からの取り組みも始まっている。いわゆる 「スマートカー部品育成事業」である。サムスン電子、サムスンSDI、サムスン電機のエレクトロニクス3社が中核となって展開している。

 自動運転の機能を担う一環として、サムスン電子のITは応用できる。すなわち、スマートカーのソフトウエア分野において競争力が発揮できると捕らえている。例えば、フロントガラスをディスプレーとして活用すれば、情報発信媒体としての機能を付加できる可能性もある。

 このように、サムスンが成長事業として予測して参入した自動車部品事業は確実に成長している。夢とは違って参入した事業だが、ここぞという分野で一気に規模を成長させられるのがサムスンの強みとも言える。

壇蜜151.jpg

企業戦略にも拘っているのか。

すげーな壇蜜・・・З

5523艦隊戦術士官

コロンボ5050.jpg


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