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スポック役名優が残した最期の言葉 [ぴんぼけ]

スポック役名優が残した最期の言葉

映画スターらの名前が刻まれている「ウォーク・オブ・フェーム(名声の歩道)」の星型プレートに供えられた、米俳優、レナード・ニモイ氏の写真と花束=2月27日、米ロサンゼルス・ハリウッド(AP)

映画スターらの名前が刻まれている「ウォーク・オブ・フェーム(名声の歩道)」の星型プレートに供えられた、米俳優、レナード・ニモイ氏の写真と花束=2月27日、米ロサンゼルス・ハリウッド(AP)【拡大】

 米国のSFドラマ・映画シリーズ「スタートレック」でエンタープライズ号の技術主任、スポックを演じた俳優のレナー ド・ニモイ氏がこの世を去った。代理人によればニモイ氏は先月27日にロサンゼルスの自宅で慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため亡くなった。83歳だっ た。同氏は30年前にやめた喫煙の習慣がこの病気の原因としていた。

 ◆人気ドラマの立役者

 「スタートレック」でニモイ氏 が演じたスポックはバルカン星人と地球人のハーフで、とがった耳とつり上がった眉が特徴。「それは非論理的です」などの口癖や、中指と薬指の間を開けてV 字を作るバルカン式挨拶、首の付け根をつかんで敵を気絶させるバルカン・アタックなどトレードマークをいくつも生み出した。

 23世紀を舞 台に「宇宙船エンタープライズ号の驚異に満ちた物語」を描くこのSFドラマは米NBCで1966年から69年まで3シーズン全79話が放映された。番組は カルト的な人気を博し、ニモイ氏をはじめカーク船長役のウィリアム・シャトナー氏ら出演者は数本の映画シリーズで同じ役を繰り返すことになる。ニモイ氏は 初期2作品の監督を務めたほか、最近では2009年と13年のリブート映画版でも老いたスポックを演じた。

 スポックは04年に米ケーブル テレビのブラボーチャンネルによる「最も偉大なテレビキャラクター100選」で21位に選ばれた。1995年にシカゴ・トリビューン紙は「スポックのおか げで、知的で冷静であることがクールと見なされるようになった。とがった耳も同様だ」と評した。

 スポック役でエミー賞に3度ノミネートさ れるなど名声を得たニモイ氏だったが、この役だけに注目が集まり過ぎることへの葛藤を長年ほのめかしてきた。米紙ワシントン・ポストの取材では、映画第1 弾「スタートレック」(79年)への出演オファーに「吐いてしまった」と冗談交じりに答えたこともある。

 ニモイ氏は2000年に放映されたテレビ番組のインタビューで、「スタートレック」最終シーズンの質が低下したことについて、「脚本はひどくなり、番組が終了してホッとした。良い脚本を使ってきちんと制作すればよい作品になるのにと非常に悲しかった」と振り返った。

 1975年に出版した自伝「わたしはスポックではない(原題)」のタイトルは波紋を呼んだ。スポック役への嫌悪とも受け取れたからだ。しかし95年出版の2冊目の自伝は「根も葉もないひどい噂」を払拭するため、「わたしはスポック」と名付けられた。

 ◆監督としても活躍

  ニモイ氏は31年、ロシア系ユダヤ移民の子として米ボストンに生まれた。8歳から地元の劇場に出演、高校卒業後はカリフォルニアに移り同地の演劇学校パサ ディナプレイハウスで学んだ。アイスクリーム店で働きながら役者を志し、52年の映画「キッド・モンク・バローニ」で主役を得た。

 53年 から2年間、米陸軍に入隊。歩兵隊を経て、兵士慰問用のラジオやテレビなどの監督や司会を務めた。除隊後はNBCで放映された軍隊ドラマ「ルテナント」に 1話だけ出演したのが製作者、ジーン・ロッデンベリー氏の目に留まり、制作予定のSFドラマへの出演を打診される。

 ニモイ氏は自伝の中で当時をこう振り返っている。「登場人物の設定はまだ固まっていなかったが、ジーンが譲らなかった点が一つあった。23世紀の宇宙探検が舞台であることを視覚的に訴えるため、スポックは異星人と分かる外見でなくてはならなかった」

 スポックの特徴である冷静沈着さは第1シーズンから具体化されていた。口癖の一つ、「魅惑的だ」を初めて発した際の監督からの指示は「科学者風に、冷静かつ興味深げに」だった。スポックが暴力をふるう場面はニモイ氏の提案で非暴力的なバルカン・アタックに変えられた。

 番組は69年に打ち切られ、ニモイ氏はテレビ「スパイ大作戦」や映画に出演する傍ら、米アンティオック大学で教育学の修士号を得た。

  その間も「スタートレック」は再放送でファンを増やしていった。「トレッキー」と称される熱烈なファンたちは70年代初めから大規模な集会を開き、シリー ズの復活を訴えた。映画「スター・ウォーズ」の成功もあって、映画会社パラマウント・ピクチャーズは「スタートレック」の映画化を決定。しかし1作目は特 殊効果に依存し過ぎて物語性が希薄と批判され、ニモイ氏も同意見だった。

 好評だった2作目でスポックは死を迎えるが、ニモイ氏が監督も務めた3作目でよみがえった。同氏が総監督として「本領を発揮できた」という4作目「スタートレックIV 故郷への長い道」(86年)は興行収入1億ドル(現レートで約121億円)を超える大ヒットとなった。

 ニモイ氏は俳優と監督業のほかに脚本家や詩人、写真家としても活躍し、多才ぶりを発揮した。私生活では89年に女優のスーザン・ベイ氏と再婚。最初の夫人との間に2人の子供がいる。

 ニモイ氏は2月23日、「人生は庭のようだ。完璧な瞬間はあるが思い出の中でしかその瞬間を保てない。LLAP」と最後のツイートをしていた。LLAPとはバルカン式の挨拶で「長寿と繁栄」への願いを意味する。(ブルームバーグ Laurence Arnold)

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LLAP

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