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洗濯機購入 [購入品]

M中将が洗濯機層の穴が詰まって

しょうがないと五月蠅いので、


でクリーンしようと発注したが、

古くて・・・З

とブツブツいうので、

そう言えば10年以上になるかと新調

する事とした。


丸裸損の最中で良かった。

P10倍なのでリサイクル費が浮いた・・・З

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実権握った秀吉の“変心” [ぴんぼけ]

気配りの人が超ワンマンに…実権握った秀吉の“変心”、イエスマン三成との暴走には官兵衛も打つ手なし

時代祭で都大路を歩く「淀君」=平成24年、京都市

時代祭で都大路を歩く「淀君」=平成24年、京都市

 社会的立場が一変したことで、部下に受けのよかったリーダーが突然、悪人に変わることは現代社会でもよくあること。豊臣秀吉もまた、その代表格と してドラマ「軍師 官兵衛」でもその変心ぶりが話題になっている。リーダーを評価する場合、「器」で表現することがあるが、秀吉には器が小さかったのかと 思いたくもなる。それとも器があると思い込み、陰になり日なたになり秀吉を押し上げた官兵衛の眼力もくもっていたのだろうか。

 

信長あってこそ

 尾張の農民、あるいは足軽の出とされる秀吉は、今川家にかかわる遠江・頭陀寺(ずだじ)城主の松下家に仕えている。ところが、主に目をかけてもらったために同僚にも妬(ねた)まれ、嫌がらせを受けたことから、主が金を持たせて送り出したともいわれている。

 この後、織田家に奉公人のような身分で入ったのが天文23(1554)年ごろとされる。このとき、信長の冷えた草履(ぞうり)を懐に入れて温め、信長を大いに喜ばせた話は誰もが知る有名なエピソード。

 どうやら秀吉は、若い頃から「気配り」で主を喜ばせる才能を持っていたようだ。草履取りの話も真偽は不明だが、松下家での気に入られ方を見ていると、気配りにたけた素質を持っていたため、出てきた話であろう。

 それからは、「信長に喜んでもらいたい」の一心でやってきた織田家での家臣時代だった。美濃・斎藤龍興との戦いで一夜に城を築いたとされる話、さらには山名勢を相手に但馬で戦い、10日間で18城を陥落させた話などなど…。

 一夜城も逸話だが、前線基地程度の簡素な城が必要だったため、このころに配下に加えた蜂須賀小六らを使って短時間に築きあげたとは思われる。とにかくこの時代に出てくる秀吉のエピソードは「懸命」と「気配り」という2つのキーワードでくくられている。

 

秀吉と三成

 ところが、天正10(1582)年に本能寺で信長が明智光秀に討たれると環境が大きく変化する。「喜ばせよう」と懸命に働いてきた秀吉の前から突然に信長が消えてしまったのだ。

 当然、秀吉は動揺しただろうが、ここで官兵衛の冷静な読みと作戦で光秀を討ち、その勢いで対立していた織田家ナンバーワン家臣の柴田勝家も破り、秀吉は事実上のトップへのしあがる。

 ここで誰に気配りする必要もなく、懸命に働いて誰かを喜ばせる必要がなくなったところで、秀吉の変心ぶりが目立つようになる。それどころか、信長の家臣時代の自分とダブらせて家臣に気配りと懸命を求めるようになる。

 そこに存在感を見せ始めたのが石田三成だった。

 三成も近江の土豪の出身で、低い身分から身を起こしたのは秀吉と同じ。しかも、秀吉との出会いの場面として知られるあの「三杯の茶」の話は後世の創作なのだが、秀吉の草履の話とどこか似ている。

 最初に大きな茶碗(ちゃわん)にぬるめの茶、次に普通の茶碗にやや熱めの茶、最後に小さい茶碗に熱い茶を出す。まずのどの渇きを鎮め、後に熱い茶を味わってもらおうとする気配り。

 この話も信長家臣時代の秀吉と同じふたつのキーワードでくくられている。

 このような気配りに喜んだ秀吉は三成を召し抱えて手元に置くと、信長が自分にしてくれたように三成もひきあげていく。三成も秀吉の命令に懸命に従いながら、官兵衛の対抗馬に成長していく。

 

秀吉は一惑星

 天正15(1587)年に九州を平定した秀吉は、強大な軍事力を背景に「従わない者は滅ぼすのみ」といった横暴で強引な言動が目立つようになる。

 そんな秀吉に三成ら家臣はひれ伏すだけなのに、武骨者の官兵衛だけはストレートに意見を言う。秀吉を天下に押し上げた自信がそうさせているのだ。

 九州攻めのとき、島津家の総帥・義久の降伏で領地没収と義久の処刑を考えていた秀吉だった。だが抵抗勢力もあり、没収すると戦火が広がる恐れがあるという官兵衛の意見を聞き、没収も処刑もやめる。

 国内の諸将の動向を見極め完璧な策を立てる官兵衛の才能を秀吉は妬み、恐れた。できれば排除したかったと思う。それが豊前への異動へと出たのかもしれない。しかし、これからも戦いが続く中で秀吉には官兵衛が必要不可欠な存在だった。

 部下を思いやりつつ采配を振るっていた、かつての秀吉に官兵衛は次代のリーダーの姿をダブらせていたのかもしれない。でも秀吉は信長という恒星をまわる一惑星に過ぎなかった。

 信長がああいう風に消えて、帝王学を学ぶこともなく突然に転がり込んできた天下の座。そこに三成ら“イエスマン”に周囲を固められたら、もう有頂天になるしかない。

 官兵衛にとっては、秀吉よりも三成の虎の威を借る狐的な変わりぶりの方が意外だったかもしれない。こうなると、官兵衛とはいえ2人の暴走を止めるのは至難の業。

 ただし秀吉も天下人として限界を感じたのかもしれない。だからこそ信長の血を継ぐ茶々(淀君)を求めたのだろう。そこに実は秀吉の理想とするリーダー像が完成する。信長のようなワンマン支配者。

 こうなると、官兵衛のようなサブリーダーが出てくる余地はなくなる。

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