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壇蜜のもっとハァハァしてる? [ぴんぼけ]

私の体内アプリに欠けている予測機能 度胸はついたけど

★其ノ百伍

2015.05.29


大ざっぱなおかげで元気にやっております【拡大】

 体内時計。体に備わっている時間の感覚、とのこと。日頃の生活は時計に囲まれているため、せいぜい腹時計や自然と眠くなるぐらいしか実感できないかもしれません。だけど、かつて人類が「時計なんてなかった頃でも時間が何となく分かっていた」という感覚を潜在的に受け継いでいる鋭い人はいるようです。

 以前、テレビ番組で「×秒たったと思ったらボタンを押す」というゲームに興じるシーンを見かけました。数人のタレントの方が参加する中、ほぼ正確に指定された時間を押せる方もいたので、皆さんの想像通りそのような芸当が全くできない私にはただただ「すごいなぁ」という感想しか出てきませんでした。

 ルーズで遅刻ばかりということはさすがにありませんが、何も見ずに正確に時間が分かることができないのは、大ざっぱな性格が関係しているのでしょうか。体内時計が大ざっぱというのは、時計がこの世に存在するゆえの進化なのか、はたまた怠惰なだけなのか。

 大ざっぱな私の性分は、体内時計だけではおさまらず、体感温度も相当アバウトにできあがっているような気がしてなりません。

 最初は何気なく過ごしていても、気付けば暑さで大量の汗をかいていたり、寒さで指先の感覚がなくなっていたりする(あわてて温めても数時間ほど謎のしびれが残るので、私はこれを「寒シビ現象」と呼んでいます)ので、私の中の“アプリ”に予測する機能が抜けているのでしょう。

 「薄着になるの面倒くさい」や「厚手の靴下を履くのがおっくう」という怠惰が惨劇を招きながら、何も学べないのもそういうアプリが備わっていないからと、自分で自分に見切りをつけております。

 この状態で万が一、床暖房のある家に住んだ日には…。想像するのも恐ろしい「怠惰ライフ」に飲み込まれてしまいそうです。働かなければ床暖房も購入&維持できないのですけれどね。

 しかし、最近になって大ざっぱな性分で良かった部分も、人前でようやく述べられるようになりました。大ざっぱ最大の魅力、それは「度胸がつく」こと。驚きの沸点が低くないのも、今、私が生きていく上で大きな助けになっています。こんなご時世ですから。

 ■壇蜜(だん・みつ) 1980年12月3日生まれ、秋田県横手市出身。本名・齋藤支靜加。158センチ、B85・W60・H89。昭和女子大卒。NHKEテレ「テレビで中国語」(火曜午後11時)、BS日テレ「久米書店~ヨクわかる!話題の一冊」(日曜午後6時)にレギュラー出演中。現在放送中のNHK総合「かぶき者 慶次」(木曜午後10時)では雫役を好演。

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