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ジキルとハイドか「宇喜多直家」 [ぴんぼけ]

ジキルとハイドか「宇喜多直家」…官兵衛とは異質の策士、織田と毛利を天秤にかけ

別所長治切腹

別所長治切腹

 羽柴秀吉の軍師、黒田官兵衛が摂津・有岡城にとらわれていた間、有岡城主・荒木村重と織田信長の攻防のみが強調された大河ドラマだが、この間、別 所長治が毛利の援軍を待ち民衆を含む7千500人と立てこもる播磨・三木城の戦いも並行して進んでいた。城を囲み食料を断つ兵糧(ひょうろう)攻めで戦場 は膠着(こうちゃく)していたが、裏では、備前・美作の戦国大名・宇喜多直家と毛利の静かで狡猾(こうかつ)な駆け引きも展開されていた。

三木の干殺(ひごろ)し

 東から播磨攻略を進める織田にとって西の毛利の大軍勢は脅威だった。このため総力戦で臨む必要があったが、絶対的な信頼を寄せていた村重の裏切りで戦いは前門の狼、後門の虎の様相を呈してきた。

 こうなると、三木城攻めは当初から兵糧攻めと決め長期戦になることは覚悟していたため、まず目の前の有岡城攻略にとりかかったのは当然のこと。だが、三木城をめぐっての攻防戦も何度かあった。

 官兵衛が幽閉中の天正7(1579)年5月、秀吉は三木への兵糧輸送の中継地、六甲・丹生山(たんじょうせん)明要寺を攻撃し補給路を断つ。9月にも毛利と別所共同の兵糧輸送作戦を阻止する。

 ついに兵糧を断たれた三木城内は餓死寸前の兵らであふれ返る。戦闘用の馬を食べたほか、ネズミ1匹も逃さない。苦し紛れに切腹する兵も続出した。

 そんな中、陥落寸前の有岡城から10月、官兵衛が救出され、6月に軍師・竹中半兵衛を亡くして意気消沈の秀吉はここで三木城に非情の戦いを仕掛ける。

 三木の支城を次々に落とし、三木城大手門前などでも激戦が行われたが、衰弱した別所勢は長時間戦う余力なく降参する。秀吉の差し入れで酒宴が催されたあとの天正8年1月14日、別所一族は自害する。

 長治の妻が1歳から5歳までの4人の幼い子を膝に抱きあげて刺し殺すと、自らは介錯もなく果てる。それを見届けた長治は部屋に戻り、弟・友之と切腹したという。

 ここに1年10カ月続いた戦いの幕は閉じる。この凄惨(せいさん)な戦いはのちに、「三木の干殺し」と呼ばれるようになる。

絶好のタイミング

 この戦いでキーポイントになった武将がいる。宇喜多直家である。播磨の戦いでは当初、直家は織田と毛利の力をはかりかねたのか、どちらつかずで戦況を眺めていたが、天正7年10月に織田に寝返る。

 寝返った時期をみると、毛利と別所が兵糧を共同で三木城に運び込む作戦に失敗した直後。しかも信長と敵対中の石山本願寺も毛利との補給路を断たれて講和に動いていたころでもある。

 ドラマの中でも、幽閉される直前、官兵衛が直家を訪ね、「織田につくなら今しか…」などと説得する場面があったが、本当にこんなシーンがあり、直家は官兵衛との会話を思い起こしながら、両者の情勢をみていたのだろうか。

 直家は一介の浪人から大名にのし上がってきたため、あらゆる情報には敏感で、的確にチャンスをとらえては自分のものにしていく才能にたけていた。しかも、鉄砲で暗殺を実行した最初の武将として知られ、毒殺もお手のものというほど謀略好き。

 それだけに、毛利が三木へ援軍を送る意志がないことを看破した“岡山”の直家は織田に寝返ることを決めると、絶好のタイミングでそれを実行に移している。これで“広島”の毛利と“兵庫”の別所は完全に分断されたのだ。

 「機を見るに敏」とはまさにこういうことを言うのだろう。

表の顔、裏の顔

 こんな謀略好きな直家だが、実は代々召し抱えてきた家臣を粛清したことはなく、10代後半に務めた乙子城主の時は家臣と田畑を耕し、自ら摂生し、兵糧を蓄えたというほどの名君ぶりをみせていたのだ。

 人にはさまざまな顔がある。官兵衛は誠実を前面に押し出した外交官、竹中半兵衛は人前にあまり顔を見せず、裏で指揮官に作戦のアドバイスをする野球のヘッドコーチのような存在。

 そして、直家はある意味毛利元就のような参謀も務めたリーダーか、ジキル博士とハイド氏のように二面性を持った武将だったのでは。

 幼い頃、同僚の謀略で祖父が暗殺され、一家が没落したという苦い経験があるため疑い深い性格だったようで、直家に必要なのは本当に忠実な家臣だけだったと思われる。

 だから、直家にとって官兵衛のような軍師はもめ事の種のようなものでしかなく、自らの智恵と力だけで切り開いていったため、表向きは、「悪人」あるいは「強面(こわおもて)」でいるしかなかった。

 ところが、城主である以上、家臣もまとめなければならないが、恐怖心だけではいずれ自分も暗殺されることはわかりきった話なので、家臣には「善人」の顔で接してきたのだろう。

 いったいどちらが本当の顔なのか。それとも、いずれの顔もこなしてしまうほどにズル賢い人間だったのか。興味は尽きない。

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以上だ税。

固論歩

 


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